2017年09月22日
【リプライズ】心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第7回
2010年エントリーの再掲。
なんと、長浜一番の先代が、新店をオープンされたらしいので、その成功を祈念して。
北九州在住のブースカさんと佐賀在住の私がコラボって「心のミシュラン」というタイトルのもと、自分史の中のエポックメイキングなラーメンたちへの想いを綴っていきます。
♪その頃もぼくらを支えてたのは
やはり このラーメンだった♪
ビートルズの解散で始まり、シド・ヴィシャスの死で終わった1970年代。
スリーマイル島原子力発電所事故が幕引きをしたそのディケードの終わりに、私は高校生だった。
栗本薫の「ぼくらの時代」と甲斐バンドの「マイ・ジェネレーション」にインスパイアされ、大江健三郎の「われらの時代 」を読んだ、そんな時代である。(ヘミングウェイの「われらの時代」も読もうと思っていたのだが、未だに果たせていない・・・)
その当時、高校の友人たちと学校の帰りに、よく一軒のラーメン店に食べに行っていた。
学校終わりに何か食べに行こうとなったら、そのラーメン店か、佐賀市の呉服元町のアーケード商店街の中にあり、地下通路のようなエントリーがあった「ドルフィンの散歩」という喫茶兼バーのようなところが多かった。
そのラーメン店は私たちの間では「長浜ラーメン」と呼ばれていた。
実はだいぶあとに、その正式屋号は「長浜一番」だと気付くのだが、何度かの店舗改装を経ても必ず屋号を示す暖簾の上に、大きく目立つ真っ赤な店舗用テントがあり、そこに「長浜ラーメン」と記されてたので、てっきりそれが屋号で、「長浜一番」というのはキャッチフレーズの類かと思っていたのである。
今でも足繁く通う人たちの中にさえ、「長浜ラーメン」が屋号であると勘違いしている人は多いと思う。
そのラーメンは当時の私にとって衝撃だった。
ラーメンに関して、一休軒本店とそれ以外の一休軒本店ほどにはうまくないその他のラーメンという分類しか持ち合わせていなかったから、元ダレがビンビンと効いていて超極細麺のラーメンにはカルチャーショックを受けた。
それに加え、初めて知った替玉というスタイルも斬新に思えた。
スープの塩分濃度が高く、食べた後には猛烈に喉が渇くのが常だったのだが、高校生の頃はもちろん完食していた。
その当時、長浜一番では大食い系のサービスとして、元のラーメンと替玉9回を食べきれば無料(女性は4回だったか?)というのをやっていた。
たしか、通算5杯目と10杯目にはスープも足してくれるというシステムだったと思う。
高校の同じクラスのやつが15杯を完食したと自慢げに語っていた後に長浜一番に行ってみると、ガッツポーズをしたそいつの写真が「15杯完食」の言葉と共に店内の壁に貼り出されていた。
久しく続いていたそのサービスが終了したのは、いつの頃だったか定かな記憶はないが、サービス終了後の壁には、日本テレビ系で放送されていた「モグモグGOMBO」という番組のロケの途中で来店したらしい、ヒロミと林家こぶ平(現:林家正蔵)の写真が、記録達成者たちの歓喜の写真に代わり飾られていた。
長浜一番と言えば、福岡にかつて同名の屋台店があり(オーナーは替わったが、佐賀にも一時出店していた長浜屋台ラーメン・ナンバーワンの前身らしい)、福岡市東区にある名島亭の店主である城戸さんや一風堂の社長の河原さんが修行した店らしいのだが、もし、佐賀の長浜一番の修行先もそこならば、佐賀の長浜一番の店主は、城戸さんや河原さんの兄弟子になるというわけだ。
もし、そうでなくても、かなり昔に佐賀の地に何故に長浜ラーメン店が開店したのかというのは、実に興味深い話である。
現在店内に置かれているマッチには、直営支店が「九大病院バス亭前」と、チェーン店が「今宿店・福岡市西区今宿徳永、佐賀店・佐賀市厘外町、大阪店・旭区赤川小学校前、広島店・広島市流川よりみち通り」と記されている。
佐賀の長浜一番の所在町名が旧住所表示(佐賀市厘外町)なので、だいぶ古いもののようだ。
ちなみに長浜一番という屋号の店は、長崎や兵庫及び京都(宝フーズ関連のお店が何店もある)にも存在しているようであるが、関連はどうなのだろうか。
現在のお店は、福岡県太宰府市で「長浜紅龍」という屋号でラーメン店を営業されていた大将の息子さん夫婦が、その店を閉めてこちらに移り、主に切り盛りされているようである。
つい先日食べたら(平成22年10月8日)、スープが元ダレ主導からいくらか出汁主導へシフトしており、以前には少なかった泡立ちも多く見て取れた。チャーシューもそれほど塩辛く、何十年ぶりかの完食をしてしまった。
これは息子さんの代に店の運営の主導権が移るとともに、味が変わり始めたということなのだろうか。なかなか美味しい一杯だったので今後の期待は大きい。
はてさて、佐賀市及びその近郊の昔ながらの滋味哀愁系のラーメン店では、老夫婦で営業されていて跡継ぎがいないところがほとんどである。
しかし、佐賀市内のこの長浜ラーメン店には後継者がしっかり存在するというのは、なにか歴史の悪戯的なものを感じずにはおられない佐賀ラーメンファンの私なのだが、特段悲観するものではない。いやいや、大変喜ばしいことだ。
その歴史は、十分に「佐賀のラーメン店」として、確固たる地位を築いているのだから。
ジョン・レノンの没後30年にあたる、21世紀の最初のディケイドの最期の年である今年2010年に、長浜一番は一つの時代のエンディングと新たな時代へのリスタートを迎えているようである。
過去ログ
■第1回(一休軒本店)
■第2回(再来軒)
■第3回(成竜軒)
■第4回(まこと)
■第5回(幸陽軒)
■心のミシュラン外伝1(佐賀ラーメン慕情)
■第6回(いちげん)
ブースカさんの過去ログ
■第1回(万龍)
■第2回(八媛)
■第3回(南京ラーメン黒木:前編)
■第4回(久留米への想い)
■第5回(黒崎の夜)
■心のミシュラン外伝1(佐賀ラーメン慕情)
■第6回(黒木と黒門と卵入りラーメン)
■心のミシュラン外伝2(黒木への慕情)
■心のミシュラン外伝3(ドンブリの巻 上)
【リプライズ】心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第4回(まこと)
【リプライズ】心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第5回(幸陽軒)
【リプライズ】佐賀・心のミシュラン(ロングインタビュー#1 池田屋)
心のミシュランまとめ
佐賀・心のミシュラン(ロングインタビュー#1 池田屋)
心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第8回
心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第7回
心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第6回
心のミシュラン外伝1「佐賀ラーメン慕情」
心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第5回
【リプライズ】心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第5回(幸陽軒)
【リプライズ】佐賀・心のミシュラン(ロングインタビュー#1 池田屋)
心のミシュランまとめ
佐賀・心のミシュラン(ロングインタビュー#1 池田屋)
心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第8回
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Posted by 今仁 at 14:07│Comments(0)
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