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2013年06月10日

佐賀・心のミシュラン(ロングインタビュー#1 池田屋)



佐賀新聞社の「ばってんがサイト」に2012年08月22日にエントリーしたものの再掲。







さあ、楽しいインタビューの時間デス。

ロングインタビューの第一弾は、佐賀大学本庄キャンパスの近所で、今では貴重となった和風出汁ちゃんぽん(注釈1)を、1990年(平成2年)の開店以来、23年にわたり提供している「池田屋」です。


インタビューに入る前に、少々予習をしておきましょう。そもそも「ちゃんぽんとは何か」ということと、「池田屋」が味を承継している「中村食堂」についてです。


■「ちゃんぽん」とは何か

「ちゃんぽん」の語彙としての意味は、「まぜこぜ・混同」というものと、長崎発祥の料理をさすものとがある。

広辞苑(第六版第一刷、2008.1.11発行、岩波書店)及び大辞泉(増補・新装版第一刷、1998.11.20発刊、小学館)によれば、いずれも前者の意味を一番目に記載し、後者の料理としてのちゃんぽんの方は二番目の意味として記載されている。

事実として、「まぜこぜ・混同」の方は江戸時代から用例が見られ、長崎で料理の名称として用いられ出したのは、諸説あるようだが明治時代で間違いはないようなので、両辞書の扱いは正しいのかも知れない。

料理としての「ちゃんぽん」をこよなく愛するわたくしとしては、「まぜこぜ・混同」の方に料理の方が負けているのは心外なのだが、さすがわれらの「新解さん」こと新明解国語辞典(第7版、2012.1.10発行、三省堂)。こちらでは、「肉・野菜などを入れて、中華風のスープで煮た麺料理。(元来、長崎料理)」と「まぜこぜ・混同」を差し置いて一番目に記載されている(笑)

料理としての「ちゃんぽん」の発祥は、明治後期の長崎の「四海樓」である(注釈2)というのが定説のようだが、私が自身のブログで『「ちゃんぽん」だ、ニャロメ!』というエントリーでちょっと触れているように、明治初期に遡るとの異説もあるようである。

まぁしかし、様々な語源説(注釈3)があったり、沖縄料理「チャンプルー」との関連性があったりと、「ちゃんぽん」の世界はカオス的で魅惑に満ちているのは間違いない。


■「中村食堂」のちゃんぽん

現在の佐賀大学本庄キャンパスの正門前道路の角で63年の歴史を刻み、平成2年に閉店した中村食堂は、旧制佐高の時代から佐賀大学の学生・教授・職員に名物の和風出汁ちゃんぽんを提供し続けていた。

中村食堂は、もともと「美どり屋」という屋号だったらしいのだが、常連客は四つ角にあったので「かどや」と呼んだり、学生たちは親しみを込めて「なかむら屋」と呼んでいたそうである。(注釈4)

平成2年4月1日付の佐賀新聞の記事では、前日にその歴史を閉じた中村食堂の歴史を紹介するとともに、閉店日の賑いを伝え、「佐大時代、教授に”中村食堂のチャンポンを知らないものは佐大生にあらず”と言われたのをおぼえている。残念です」との同大卒業生のコメントと、当時84歳だった店主の故中村ハルさんの写真を載せている。

中村食堂で、開店当時に二十銭で提供されていた「和風出汁ちゃんぽん」は、鶏ガラ出汁や豚骨出汁のちゃんぽんにおされ、現在ではマイナーなちゃんぽんとなってしまったが、その味を今も頑なに承継し続ける池田屋の「物語」は、私たちがいつの間にか捨ててきた、古き良き時代の、単にノスタルジックでは片付けられない「人と人のつながり」や「食べ方・生き方の基本」を教えてくれるものである。


それでは、「池田屋」の大将・池田信宏さんへのインタビューです。




まずは、「池田屋」を開店し、「中村食堂」の和風出汁ちゃんぽんの味を守ることとなったいきさつを。

『高校性の頃に佐大正門前にあった旭屋(注釈5)という酒店でアルバイトをしていたので、中村食堂のちゃんぽんはよく食べていた。その当時、他に美味いと思って食べていた「ちゃんぽん」は鶏ガラ出汁の若柳食堂ぐらいのものだったかな。県外に就職しブランクはあったけど、Uターンし佐賀で働きだしてからは頻繁に通っていたんだ。結婚して子供もできた頃かなぁ、中村食堂のハルばあさんが、いきなり厨房越しに声をかけてきたんだ。「池田くん、あんたちゃんぽん屋にならんかい?あたいがちぁんとおしゆっけん」って。それから半年ぐらいどうしようかと躊躇していたんだけど、中村食堂のそう遠くない閉店は感じていたんで、この和風出汁のちゃんぽんが食べられなくなって一番困るのは自分自身だなと思って決断した(笑)』


ハルばあさんの鶴の一声のあと、決心した池田屋の大将は、以前からの仕事をつづけながら修行に入ることになったのである。


『朝の五時か六時ぐらいには中村食堂に行って、仕込みの手伝いをしつつ、和風出汁ちゃんぽんの手法を学んでいった。出勤の時間が迫ると、自分用のちゃんぽんを一杯だけ作って、自分の朝食としていた。半年ぐらいはそういう生活を続け、中村食堂の閉店の日には、サポートとして厨房の中に入っていた。1990年5月14日の池田屋開店にあたっては、ハルばあさんは中村食堂の屋号も備品も譲るよと言ってくれたのだが、土釜の移設だけは甘えて、その他は敢えて自力で始めようと決めた。』


どうして、ハルばあさんは、池田屋の大将に後を託そうと思ったのだろうか。


『中村食堂の閉店時には、有償で和風出汁ちゃんぽんの手法を教えてほしいという要望もあったらしい。そんな中で、なぜ私を選んだのかは、ハルばあさんには直接、聞いたことはなかった。その頃は今と違って私も人当たりが良く(笑)、客商売に向いているとハルばあさんは思ったのかもしれない。ただ、近所の酒屋・旭屋でアルバイトをしていた過去があるので、佐賀大学の教職員やその周辺の住民とは顔見知りだったので、その人たちが「つながり」を感じて贔屓にしてくれるという、ハルばあさんの「そろばんずく」だったのかもしれないと、今となっては思ったりもする。』


鶏ガラや豚骨から出汁を採る、現在主流のちゃんぽんとは違い、和風出汁のちゃんぽんには、経験と手間が必要なのだとか。なおかつ、調理時も繊細な手順を守らなければ「池田屋」のちゃんぽんは完成しない。


『昆布と数種類の節から採る出汁の仕込みは前日には必要。先ずは昆布をアルカリ水で長時間煮だす。その際は弱火であることが必須。そうでないと十分な旨味は出ない。そこに節類を加えるが、繊細な調整が必要なので一度に大量には仕込めないので、そこが和風出汁の難点であり面白さでもある。ちゃんぽんのオーダーがあってから玉ねぎは切る。そうしないとエグ味が出てしまう。人参も熱を加えすぎると必要以上に発色してしまうので、切り方や鍋への投入のタイミングには工夫が必要。もやしはシャキシャキ感を生かすため、鍋の火を止めてから投入する。炒めた具材に和風出汁を加えるタイミングで大きく味が異なるし、スープにとろみを加えるための水溶き片栗粉の量を季節に応じて変えるなど、なかなか気が抜けるポイントがない。最後に麺を投入するのだが、通常の茹で麺の場合は、麺自体をほぐし熱を加える程度。時々、「硬麺」オーダーがあるけど、生麺でなく茹で麺なので硬くしようがない(笑)いちいち説明するのもバツが悪いから、ノーマルのものを「はい、どうぞ」って出すんだけど・・・。』


開店以来、お店を取り巻く環境も大きく変わってきたのだそうだ。

『開店直後は佐賀大学への出前が多かった。30分の間隔で三度に分けて持って行っていた。まぁ、時代も大らかだったから出前を取ったお客さんも、正午前から「麺が伸びるから」と食べられた時代だったんだけどね。今は、そのあたりが厳しいから正午丁度でないと出前は持っていけない。そうなると、店舗に来店してくれるお客さんとバッティングするから、実質上、出前は難しくなってしまった。それに、佐賀大学の学生も様変わりしてしまった。以前は、先輩が後輩を連れてきて「ちゃんぽん」の味が申し送りされるような感じだったのだけど、いまはほとんどそんな光景はない。学生のライフスタイルが変わり、一人あるいは数人で学食や近所のファミレスなんかで食事をし、個人経営の食堂へ行こうという学生は珍しくなったようだ。そのことと直接関係しているかどうかは自信がないけど、最近の学生・若者は食べ方を知らない。麺と具材をバランスよく食べるという感覚がなく、丼に大量に野菜が残ったままで箸を置いたり、カレーセットをオーダーした時にカレーから口をつけて、和風出汁ちゃんぽんの繊細な味わいを感じられなくなるような食べ方をしたり。お客さんだから文句は言えないけど、作り手としてなんだか寂しくなるのは事実。そんな光景を繰り返し見てきて、私自身が寡黙な職人になってしまったのかもしれない。昔はこう見えても、ものすごく愛想が良かったんだよ(笑)


2003年から提供を始めた「蒸し麺」は、デフォルトの「茹で麺」とは、また違った食感で舌を楽しませてくれる。


『北九州の戸畑にある田中製麺所の蒸し麺を使っている。独特の製法で作られる麺は、保存性に優れていて、常温でも二週間は味が変わらない。ちゃんぽんと皿うどんで使っているけど、最近はオーダーが多くなった。もちろん、茹で麺とは違うその食感は一度試してみて欲しいのだけど、初めての来店でいきなり蒸し麺をオーダーされると、少し悲しくなるね。まずは茹で麺を食べて、うちの基本の味を確かめてほしい。最近は情報を食べに来ている若い人も多いように感じる。妙に面白い時代になったと感心することがあるよ。』


開店当時に、メニュー構成を考えて加えたというカレーも池田屋の名物メニューとなっている。


『自分の好きな味のカレーを作っているだけ。具材がゴツゴツと入っているのは嫌いなので、すべての具材はミキサーにかけてペースト状にしてスパイスと合わせている。見た目からは想像できないけど、結構な数の材料を使っている(笑)野菜の甘みが先ずは舌を刺激し、辛さが後から追いかけてくるタイプだけど、砂糖は使っていないから嫌な後味は残さない。ほんとうに、流行廃りとは関係なく、自分の好みと舌を信じて作っているだけなんだけどね。』


池田屋の「ちゃんぽん」と「カレー」は通販での購入も可能で、電話・FAX・メールで注文を受け付けている。また、「カレー」は「佐賀風土館 季楽 直販本店(佐賀市大財三丁目)(注釈6)」、「alta(アルタ)開成店」、「alta(アルタ)高木瀬店」及び「alta(アルタ)新栄店」でも購入が可能である。


『出来立てのちゃんぽんを熱々のまま袋詰めし、素早く密封・冷却することで野菜のシャキシャキ感を残し、ほとんどお店の味に近い状態のままクール宅急便でお届けできる。結構、全国各地から注文をもらっている。佐賀大学OBから定期的に注文がくると、こちらも嬉しくなるね。ただ、ちゃんぽんはどうしても賞味期限が限られるから、東京あたりだと届いてから二、三日のうちに食べてもらうことになるけどね。カレーは冷蔵すれば一ケ月は大丈夫だから、ぜひ試してみて欲しいね』


これからの抱負や夢があれば。

『特にこれといったものはないけど、何事についても「基本を知れ」ということを自分自身に言い聞かせている。ちゃんぽんの作り方についても、今までは職人の勘で作ってきたけど、歳を食って味覚が鈍化するかもしれないと、正確なレシピを記録した。変わらない味を出し続けるというのは、思ったよりも難しいものだよ。店主としての戯言だけど、お客さんも食べ方の基本を知って、美味しく正しく食べてほしいものだね。サラリーマンじゃなくて商売をしたいという気持ちがあって、池田屋を23年もやってきたけど、趣味のバイクに走りたいという気持ちもあったりする。日曜日を店休日にして、今乗ってるBMWのK1200RSで仲間とツーリングに出かけたいという欲望もあるけど、日曜日にしか来店できない常連さんも多いから無理なんだけどね(笑)』


鶏ガラや豚骨から出汁を採るちゃんぽんが主流となった現在、池田屋の和風出汁ちゃんぽんは、まさに絶滅危惧種状態である。その貴重な味がいつまでも身近に食べられるように、店主には頑張ってほしいと願わずにはいられない。そしていつの日か、「あんたちゃんぽん屋にならん?おいがちゃんとおしゆっけん」と意中の誰かに告げて、その味を承継させてほしいものである。



(注釈1)ウィキペディアの「ちゃんぽん」の項によれば、彦根と八幡浜にも和風出汁ちゃんぽんは存在しているようである。
(注釈2)四海樓の現代表取締役社長である陳優継氏の著書(『ちゃんぽんと長崎華僑』長崎新聞社、2009年、P17)では、曾祖父であり四海樓の創業者・陳平順氏の訃報が1939年4月14日付の長崎日日新聞朝刊に掲載されたと記載するとともに、陳平順氏が「ちゃんぽん」「皿うどん」の考案者だと紹介されている。
(注釈3)日本語源大辞典(小学館、2005年4月1日初版第一刷発行)では、「攙和の中国音chan-hoから」及び「チャン(鉦)とポン(鼓)を交互に鳴らしたことからか」と記載されている。(参考リンク:独りしゃべり「チャンポンの由来」)
(注釈4)既廃刊のフリーペーパー「HANAKO」の1984年4月号での、中村食堂店主・故中村ハルさんへのインタビュー「なかむら屋物語」で、店主自らが語っている。
(注釈5)道路拡張に伴う移転で、現在は佐賀市鍋島町蠣久で営業されている。
(注釈6)池田屋は「季楽 直販本店」に、お盆と年末年始には数量限定で佐賀牛のリブロースを使った、かなり贅沢な極上カレーも納品している。





池田屋  店舗データ

■住所
佐賀市赤松町6-11
■電話
0952-22-7508
■営業時間
11:30~15:30
18:00~21:00
■店休日
毎週木曜日(祝日の場合は翌日に振り替え)
■駐車場
店舗裏口前2台。店内で配布している池田屋ステッカーを車のフロントに置けば、近隣の漫画倉庫に駐車可。
■UD
店舗入り口には20センチ×2段の段差あり。裏口には10センチの段差あり。店内はカウンター3席と4人がけテーブルが4個。店内床はフラットだが、スペース的に余裕がないので車椅子はサポートがないと苦しい。店内雰囲気は女性の一人客でもそれほど気後れなく食べれそう。



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