2017年02月05日
【リプライズ】心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第5回(幸陽軒)
2008年エントリーの再掲。
幸陽閣の前身、佐賀市大財(おおたから)一丁目に夜専門店として営業していたラーメン店・幸陽軒の思い出をつづったもの。
同じ大将が作っているのだが、現在と味の趣が微妙に異なっていた。昼専になったことが原因なのかは定かではない・・・・。
■心のミシュラン・・・とろけるよなファンキー・ラーメン 第5回
北九州在住のブースカさんと佐賀在住の私がコラボって「心のミシュラン」というタイトルのもと、自分史の中のエポックメイキングなラーメンたちへの想いを綴っていきます。
♪その頃もぼくらを支えてたのは
やはり このラーメンだった♪
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
今年の三月一杯で、幸陽軒は閉店してしまった。
現在、店主ご夫婦は、佐賀市下田町(西部環状線沿い・旧イエローパンプキンの店舗)で幸陽閣という焼肉店を営業されている。佐賀牛のみを使用されている、おいしく良心的な焼肉店なのだが、あのラーメンを食べることは出来ない。
あの力技で圧倒されるような、図太く逞しいラーメンとは二度と邂逅することは出来ないのである。
その昔、佐賀市の飲み屋街の中心は、ラサンビルと南国ビルだった。はしごをしていると、何度となく二つのビルの間を往復したものである。
その途上に幸陽軒は存在していた。
幸陽軒の道路対面には、皆から竜崎と呼ばれていたスキンヘッドの愛想の良い呼び込みのおっちゃんがいて、3時までの営業なのに麺切れのための早めの閉店に出くわすと、「残念だったね。さっき暖簾を下ろしていたよ」なんて教えてくれたりもした。
佐賀に住んでいて、東京に行くと一番びっくりするのは飲食店の行列の存在であった。なんともその成り立ちなり仕組みが理解できないのである。特にラーメン店の行列は。気に入ったラーメン店が複数あり、どのお店も長らく通いつづけているならば、行列して待つなんて概念は発生しないのである。
しかしながら、幸陽軒の行列だけは別であった。飲みの〆に幸陽軒というのは、ある意味、疑う余地が微塵もない公理みたいなものだったのである。佐賀では稀有な飲食店の行列に加わるというのは、至極、当たり前の行動だった。
幸陽軒店主の川上さんは、一休軒本店で修行したあと佐賀市神野の高架下でラーメン店を開店したという。そのお店は飲食店としては場所が良くなく、客入りは芳しくなかったとか。佐賀市の大財通り沿いに移転したら、タクシードライバーの口コミなどで評判になり繁盛したらしい。その後、手狭なキャパシティーの解消のため飲み屋街の愛敬通りに移転した(所在地の住所は佐賀市大財一丁目)という事情らしい。
一休軒系のお店でありながら、そのラーメンの趣は異端だった。一休軒系の滋味あっさりとは、一線を画すものだったのである。
平均的なラーメン店と比べると数倍の量の豚骨を長時間煮詰めて取られていた出汁は、他に比類すべきものがないような「こってり濃厚」なものだった。「こってり濃厚」という言葉が、安易に脂の量を示す概念として語られることがある。しかしながら幸陽軒のスープの味は、脂に頼らない真の「こってり濃厚」だったのである。
時としてそのスープは褐色に輝いていた。その味が愛しくて、丼を抱きしめたくなるようなことが何度もあった。店内が満席になると、かなりの人数前の麺揚げが一度に行われていた。出てきたラーメンの麺は超やわやわで、デンプンの一歩手前かと悶絶しそうなこともあった。しかし、極上スープの存在の前では、「まあ、いいか。仕方ない」と妥協できたほどであった。
本来ラーメンは、スープと麺が織り成す味覚と食感を楽しむ食べ物のはずなのであるが、幸陽軒のラーメンに関しては、完全に他には活用できないケーススタディみたいな一杯だったのだ。大体は酸化していて苦味があったチャーシューとユル度MAXの麺は、完全に添え物だったのである。
大量の豚骨を使用していたので、季節によるその質の変動によるものなのか、今日はハズレだなと思うこともあった。しかしそれでもなお、幸陽軒のラーメンの呪縛から解き放たれることはなかったのである。
年齢的に長時間の仕込みが難しくなってきた、というのが閉店の理由らしく、後継者もいないようである。
一子相伝どころか、全くの一代で途絶えようとしている幸陽軒。
白毛馬が突然変異で生まれる確率は数万頭に一頭らしい。一方、一年間に開店するラーメン店は全国で5千店ほどとのこと。佐賀県内で一年間に新規開店するラーメン店は、多めに考えてもニ、三十店というところだろう。
とすれば、突然変異的な味を持っていた幸陽軒と似たようなラーメン店が、佐賀に新規開店する確率は、どう考えても白毛馬が生まれてくる確率より、かなり低くそうである。
白毛馬が、日本ダービーとエプソムダービーと凱旋門賞を三連覇するぐらいの確率だろうか。その確率を表す分数の分母は、恒河沙とか阿僧祇とか那由他なんていう天文学的数字になるに違いない。
いずれにせよ、幸陽軒の行列に並んでいる間に酔いが若干醒めて、隣の甘栗屋で家族へのお土産を買うなんて夜は、二度と訪れることはないのである。
※久留米を発祥とする幸陽軒(丸幸ラーメンセンターもその系統)と、佐賀市に存在していた幸陽軒とは、何ら関係ありません。
過去ログ
■第1回(一休軒本店)
■第2回(再来軒)
■第3回(成竜軒)
■第4回(まこと)
ブースカさんの過去ログ
■第1回(万龍)
■第2回(八媛)
■第3回(南京ラーメン黒木:前編)
■第4回(久留米への想い)
■第5回(黒崎の夜)
Posted by 今仁 at 18:34│Comments(0)
│心のミシュラン
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