2013年06月27日
「佐賀ラーメン bot(@saga_ramen)」ってなんだ??
「佐賀ラーメン bot(@saga_ramen)」てのは、「佐賀ラーメンについて、身勝手につぶやきます。思いで補正過多、地元バイアスかかりまくりなので過信禁物ww」ってやつなんだけど、所詮botで231個の登録「つぶやき」が30分ごとに自動エントリーされるんで、一週間もしたら飽きるかもww
まぁ、時間指定の「つぶやき」も、ラ店の定休日や朝夕の「ごあいさつ」などを23個登録していたり、「佐賀ラーメン」とか「佐賀ちゃんぽん」関係の「つぶやき」をRTしているんだけどね・・・・。
「オモロイ」と好意的な「つぶやき」をいただいても、「テキストサイトの歴史」や「ミクシィの終焉」みたく、程なくリムーブされちまうのが切ない・・・(爆)
まぁ、いいんだよ、刹那の快楽で。
つーことで、「つぶやき」をいくつか抜粋してご紹介。
「ぱふゅ→む」が「Perfume」に変わったように、佐賀ラーメンも時代の遷移とともに変化していくのだろうか・・・。
卓越した商人と不器用な職人の、どちらに人々はより惹かれるのか。あらゆる分野でディスカウントな商品やシステムが溢れているが、その多様性を楽しみつつも手間がかかり割高な本物や判別に努力が必要な真実が、承継される時代であってほしいものだ。佐賀ラーメンしかりマスメディアの姿勢しかり。
元ダレ主導のケバいラーメンだったり、過剰な味の足算がされたラーメンでは、味の均一化は図れるだろうが、面白味はない。あたかも四季の移り変わりを慈しむように、微妙な日々の変化を楽しめるのは、滋味哀愁な佐賀ラーメン全体に共通する特性なのだ。
佐賀ラーメンを標榜する県外のお店は、一休軒広島本店、美登里@浅草、葉隠@横浜市神奈川区六角橋、おんごろや@浦安市猫実、葉隠本舗@小諸市西原ぐらいしかネット上では見出せない。
その昔、「佐賀を探そう」という観光キャンペーン用のコピーがあったが、必死に探し当てようと努力しなくても佐賀には、昔から脈々と生き続ける「良さ」がある。そう、ふと立ち止まり、「気付き」さえすればいいのだ。佐賀ラーメンも然り。
白濁豚骨ラーメンの起源は、久留米の三九と福岡の赤のれんのようで、両店はそれぞれ独自の経過を辿り白濁豚骨ラーメンを開発したとされている。その事実は進化論を巡るダーウィンとウォレスの関係と似てて、なかなか興味深いポイントである。
久留米の大砲に代表される「呼び戻し」と一休軒系の「継ぎ足し」は、ちょいと技法が異なる。「呼び戻し」は、新骨をひたすら足していく(もちろん屑になった骨は濾される)が、「継ぎ足し」は、ある程度古い骨は姿が原形を保っていてもエグさが出るので取り除かれる。
ごめん、カミングアウトするよ。自販機の前でかがみこむリーバイス606のローライズジーンズの39歳女性のお尻と、コロコロを転がして歩く黒のアルマーニのパンツスーツの28歳女性の耳たぶの次ぐらいに、佐賀ラーメンが好きなんだ、僕は。
中島敦の名人伝にある不射之射のごとく、不食之食を究めようと思うんだ。実食せずともイメージするだけで、佐賀ラーメンを海馬が感じるんだぜ。ただ、名人伝のオチに倣えばラーメンを目前にしても、これはなんという食べ物だ?と思うようになるんだけどな。
「ヱヴァ:Q」で戦闘中なのに脳天気に天地真理の「ひとりじゃないの」を鼻歌にするぐらいの昭和な真希波・マリ・イラストリアスなら、佐賀ラーメンの滋味地味な昭和テーストは好きになってくれると思うけど、どうよ。つーか、マリの声優の坂本真綾に佐賀ラーメンを食ってもらいたいw
強要された「郷土愛」やアジテートされた「町おこし」というベクトルとは捩れの位置の、単純に食べて「心地よい佐賀ラーメン」が私は好きなのです。
ペペこと、ケープレル・ラヴェラン・リマ・フェレイラがいつまでもアンブロに愛着を持っているように、どんな艱難辛苦が訪れようと、僕は一休軒という屋号を心の中から解き放つことは出来ない。
俺はキリスト教信者でないんで、ルーベンスの『キリスト昇架』と『キリスト降架』を見ただけでは死ねんなぁ。せめて後、佐賀ラーメンを千杯は食わなきゃ、今世に悔いが残る。
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