2007年04月23日
ダービーが近づいてきた・・・
今週末は春天。むずむずと競馬心が疼いてきます。
てなことで、競馬への無垢で邪心な心持ちたっぷりの過去ログなど上げておこう。
多分5年ほど前に書いたような気がする・・・・。
EPSODE 1
ゲートが開いた。案の定、江田照男の騎乗した馬は出遅れた。
その馬は、テンジンショウグン。このレース、98年の日経賞(G2・中山)に出走した9歳のこの馬は、障害入りした馬で、すでに障害で2勝をあげていた。普通なら、中山大障害を目指すローテが常識であるが、バンケットが苦手なことと、平地を走っていた頃からの最高の状態であることを考慮し、平地のレースに回ってきたのだ。12頭立ての最低人気だ。
予想していたこととはいえ、江田は出遅れで苦々しい気持ちになった。「8着を狙ってくれ」というレース前の調教師の言葉がよみがえってきた。レースでの本賞金は5着までの馬にしか与えられないが、6、7、8着の馬にも出走奨励金が与えられるのだ。競走馬が経済動物であることは百も承知だ。しかし、90年の新人賞を取った後の低迷、勝ちを望めない馬に騎乗し、着を拾えば儲けものというレースばかりが続く現状と相まって、騎手としての闘争心を萎えさせる。
道中を最後尾近くで周回しながら、江田の頭の中には、あのシーンがまた、フィードバックしてきた。91年の秋の天皇賞、デビュー2年目のあのレースが。江田の騎乗したプレクラスニーは3番人気だったが、東京競馬場のゴール前の長い直線で、当時最強と言われていたメジロマックイーンとの叩き合いは長く続かなかった。ゴール板を通過する時点で6馬身もの差をつけられたのだ。2着に入ったものの実力の差をまざまざと感じさせられて、うなだれる江田に信じられない言葉が耳に入ってきた。メジロマックイーンが1コーナーでの斜向により失格になりプレクラスニーが1着に繰り上がったのだ。「本当に勝ったわけじゃない。恥ずかしい。表彰式が早く終わってほしい」。ひきつった顔のまま、江田はG1の表彰台の上で、逃げ場のない嘲笑の視線にさらされているような気分だった。あのレースが今も、歯車をくるわせたきっかけのような気がする。その思いが、さらに現状を悪化させていることは、江田自身にもわかりきったことではあったが・・・。
レースは4コーナーに差しかかっていた。後方で仕方なく待機策を取っていたテンジンショウグンは、足を余していた。8着どころか掲示板も狙える、そう思うと、過去のトラウマは消え去り、ひとつでも上の着順を狙うという江田の闘争心が瞬時に蘇ってきた。江田は軽い鞭でテンジンショウグンに気合をつけた。前年菊花賞2着の柴田善のダイワオーシュー、G1で実績のある熊沢のステイゴールド、1番人気の横山典のローゼンカバリーと交わし、テンジンショウグンとゴール板の間に馬はいなくなった。そのまま、ゴール板を駆け抜ける。5年ぶりの重賞勝利である。単勝35,570円、馬連213,370円の大穴となったこのレースは、江田の自信を取り戻させるにふさわしく、後年何度となく語られるであろうエピソードとなった。
その後、江田への騎乗依頼は増え、比例して毎年、複数の重賞レースを制覇してきている。2000年にはダイタクヤマトで真の意味のG1勝利も手にしたのだ。(またもや、単賞25,750円の穴男にふさわしいレースだったが・・・・)。
EPSODE 2
ゲートが開いた。案の定、江田照男の騎乗した馬は出遅れた。
電話投票で買った馬券は、障害帰りの2頭の馬連だ。10番人気のアワパラゴンと最下位12番人気のテンジンショウグンという組み合わせだ。スポーツ紙の予想オッズ欄は星印が記されている。10万以上の大穴という意味だ。このレース、98年の日経賞(G2・中山)の当日、私は職場で異動内示を受けたために、残務整理のために休日出勤していたのだった。レースの直前に帰宅したため、十分な馬券検討ができなかった。ぼんやりと、ステイゴールドから流そうかと思っていたが、レベルが下がると好走しない馬だから考え直した。その時ふと思い浮かんだのは、「障害帰りを狙え」という、負け馬券オヤジに語り継がれている定石だ。障害レースでトモがしっかりし平地での競争力も増す、という後付みたいな理論だが・・・。
予想していたこととはいえ、ゲートが開いた瞬間に買った馬券が否定されると、ちょっとブルーがはいる。まっ、8歳と9歳の馬連を買う行為自体が無謀だな、と瞬時にして反省モードになった。
思えば、中央競馬をダービースタリオンをきっかけに買い始めて、最初はそこそこ取れていたんだよね。ところが、グルメフロンティアとメイショウモトナリのフェブラリー・ステークスの万馬券を取って以来、どういう訳かぜんぜん取れなくなった。血統、コース形態、騎手等々、増える知識と反比例して・・・。血統表を見てると、ほんとに馬名の羅列に過ぎないのに時間がつぶれるんだよね。オタッキーになればなるほど、いろんな情報に左右されて、買点数も多くなる。本命を買ってハズレ、ならばと穴に走ると当然ハズレ。悪循環ですな。ハズレがつづくと当たっても元なのに、5頭ボックスなんて買ってしまうんだよね。
レースは4コーナーに差しかかっていた。後方でアワパラゴンもテンジンショウグンももがいている。少なくとも私の目にはそう写った。直線に入り、先頭は1番人気の横山典のローゼンカバリーだ。熊沢のステイゴールドも前々で競馬を進め、連に絡みそうだ。なんだ、やっぱりステイゴールド流しで正解だったか。と思った瞬間、大外から何かが飛んできた。なっ、なっ、なんとテンジンショウグンだ。ウソだろ。ガンバレ穴男江田。その瞬間、馬券を忘れ声援を送った。テンジンショウグンは全ての馬を差しきってしまった。
配当が発表になると、興奮が冷め、どうして単勝を買わなかったのかと後悔が始まった。単勝35,570円なんてめったないよな。よくよく考えると、テンジンショウグンはダビスタ3で安定C・突如爆発のノーアテンション産駒じゃないか・・・。
ダビスタ3でよく使っていた江田のフリークになるぞと、決心したのもつかの間、その年の新潟3歳ステークスで、これは無理だなとあっさり切ったロサードで江田はあっさり勝った。98年の重賞2勝目をあげ、私にとっても穴男ぶりを十分発揮してくれたのでした。おまけに、牡馬なのに体型が小さかったこともあり、牝馬だと思い込み牝馬の装鞍所で待機していたというエピソードを残して。
もちろん、2000年のスプリンターズステークスで最下位16番人気で勝って記録した、単賞25,750円のダイタクヤマトの馬券も、とうぜん買っておりませんです。ハイ。
http://www.jra.go.jp/index.html
JRAのホームページ。flash版はくどすぎ。こんなとこに金かけるんなら、控除率下げろよ。と言いたいが、多分競馬法かなんかでシバリがあるんでしょうね。データファイル⇒騎手名鑑で「エダテル」の成績チェックしてください。
てなことで、競馬への無垢で邪心な心持ちたっぷりの過去ログなど上げておこう。
多分5年ほど前に書いたような気がする・・・・。
EPSODE 1
ゲートが開いた。案の定、江田照男の騎乗した馬は出遅れた。
その馬は、テンジンショウグン。このレース、98年の日経賞(G2・中山)に出走した9歳のこの馬は、障害入りした馬で、すでに障害で2勝をあげていた。普通なら、中山大障害を目指すローテが常識であるが、バンケットが苦手なことと、平地を走っていた頃からの最高の状態であることを考慮し、平地のレースに回ってきたのだ。12頭立ての最低人気だ。
予想していたこととはいえ、江田は出遅れで苦々しい気持ちになった。「8着を狙ってくれ」というレース前の調教師の言葉がよみがえってきた。レースでの本賞金は5着までの馬にしか与えられないが、6、7、8着の馬にも出走奨励金が与えられるのだ。競走馬が経済動物であることは百も承知だ。しかし、90年の新人賞を取った後の低迷、勝ちを望めない馬に騎乗し、着を拾えば儲けものというレースばかりが続く現状と相まって、騎手としての闘争心を萎えさせる。
道中を最後尾近くで周回しながら、江田の頭の中には、あのシーンがまた、フィードバックしてきた。91年の秋の天皇賞、デビュー2年目のあのレースが。江田の騎乗したプレクラスニーは3番人気だったが、東京競馬場のゴール前の長い直線で、当時最強と言われていたメジロマックイーンとの叩き合いは長く続かなかった。ゴール板を通過する時点で6馬身もの差をつけられたのだ。2着に入ったものの実力の差をまざまざと感じさせられて、うなだれる江田に信じられない言葉が耳に入ってきた。メジロマックイーンが1コーナーでの斜向により失格になりプレクラスニーが1着に繰り上がったのだ。「本当に勝ったわけじゃない。恥ずかしい。表彰式が早く終わってほしい」。ひきつった顔のまま、江田はG1の表彰台の上で、逃げ場のない嘲笑の視線にさらされているような気分だった。あのレースが今も、歯車をくるわせたきっかけのような気がする。その思いが、さらに現状を悪化させていることは、江田自身にもわかりきったことではあったが・・・。
レースは4コーナーに差しかかっていた。後方で仕方なく待機策を取っていたテンジンショウグンは、足を余していた。8着どころか掲示板も狙える、そう思うと、過去のトラウマは消え去り、ひとつでも上の着順を狙うという江田の闘争心が瞬時に蘇ってきた。江田は軽い鞭でテンジンショウグンに気合をつけた。前年菊花賞2着の柴田善のダイワオーシュー、G1で実績のある熊沢のステイゴールド、1番人気の横山典のローゼンカバリーと交わし、テンジンショウグンとゴール板の間に馬はいなくなった。そのまま、ゴール板を駆け抜ける。5年ぶりの重賞勝利である。単勝35,570円、馬連213,370円の大穴となったこのレースは、江田の自信を取り戻させるにふさわしく、後年何度となく語られるであろうエピソードとなった。
その後、江田への騎乗依頼は増え、比例して毎年、複数の重賞レースを制覇してきている。2000年にはダイタクヤマトで真の意味のG1勝利も手にしたのだ。(またもや、単賞25,750円の穴男にふさわしいレースだったが・・・・)。
EPSODE 2
ゲートが開いた。案の定、江田照男の騎乗した馬は出遅れた。
電話投票で買った馬券は、障害帰りの2頭の馬連だ。10番人気のアワパラゴンと最下位12番人気のテンジンショウグンという組み合わせだ。スポーツ紙の予想オッズ欄は星印が記されている。10万以上の大穴という意味だ。このレース、98年の日経賞(G2・中山)の当日、私は職場で異動内示を受けたために、残務整理のために休日出勤していたのだった。レースの直前に帰宅したため、十分な馬券検討ができなかった。ぼんやりと、ステイゴールドから流そうかと思っていたが、レベルが下がると好走しない馬だから考え直した。その時ふと思い浮かんだのは、「障害帰りを狙え」という、負け馬券オヤジに語り継がれている定石だ。障害レースでトモがしっかりし平地での競争力も増す、という後付みたいな理論だが・・・。
予想していたこととはいえ、ゲートが開いた瞬間に買った馬券が否定されると、ちょっとブルーがはいる。まっ、8歳と9歳の馬連を買う行為自体が無謀だな、と瞬時にして反省モードになった。
思えば、中央競馬をダービースタリオンをきっかけに買い始めて、最初はそこそこ取れていたんだよね。ところが、グルメフロンティアとメイショウモトナリのフェブラリー・ステークスの万馬券を取って以来、どういう訳かぜんぜん取れなくなった。血統、コース形態、騎手等々、増える知識と反比例して・・・。血統表を見てると、ほんとに馬名の羅列に過ぎないのに時間がつぶれるんだよね。オタッキーになればなるほど、いろんな情報に左右されて、買点数も多くなる。本命を買ってハズレ、ならばと穴に走ると当然ハズレ。悪循環ですな。ハズレがつづくと当たっても元なのに、5頭ボックスなんて買ってしまうんだよね。
レースは4コーナーに差しかかっていた。後方でアワパラゴンもテンジンショウグンももがいている。少なくとも私の目にはそう写った。直線に入り、先頭は1番人気の横山典のローゼンカバリーだ。熊沢のステイゴールドも前々で競馬を進め、連に絡みそうだ。なんだ、やっぱりステイゴールド流しで正解だったか。と思った瞬間、大外から何かが飛んできた。なっ、なっ、なんとテンジンショウグンだ。ウソだろ。ガンバレ穴男江田。その瞬間、馬券を忘れ声援を送った。テンジンショウグンは全ての馬を差しきってしまった。
配当が発表になると、興奮が冷め、どうして単勝を買わなかったのかと後悔が始まった。単勝35,570円なんてめったないよな。よくよく考えると、テンジンショウグンはダビスタ3で安定C・突如爆発のノーアテンション産駒じゃないか・・・。
ダビスタ3でよく使っていた江田のフリークになるぞと、決心したのもつかの間、その年の新潟3歳ステークスで、これは無理だなとあっさり切ったロサードで江田はあっさり勝った。98年の重賞2勝目をあげ、私にとっても穴男ぶりを十分発揮してくれたのでした。おまけに、牡馬なのに体型が小さかったこともあり、牝馬だと思い込み牝馬の装鞍所で待機していたというエピソードを残して。
もちろん、2000年のスプリンターズステークスで最下位16番人気で勝って記録した、単賞25,750円のダイタクヤマトの馬券も、とうぜん買っておりませんです。ハイ。
http://www.jra.go.jp/index.html
JRAのホームページ。flash版はくどすぎ。こんなとこに金かけるんなら、控除率下げろよ。と言いたいが、多分競馬法かなんかでシバリがあるんでしょうね。データファイル⇒騎手名鑑で「エダテル」の成績チェックしてください。
Posted by 今仁 at 22:00│Comments(0)
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