2015年08月03日
どしたらいいんじゃ@佐賀の八賢人おもてなし隊
8月2日は、「佐賀城下栄の国まつり」の二日目であった。
雨蛙が葉っぱを日傘代わりにしそうな暑さで、「まつり」については全く興味は失せていたのだが、ふと「佐賀の八賢人おもてなし隊」のイベントが9月末までは毎日曜日に佐賀城本丸歴史館で開催されていることを思い出し出かけてみた。

本丸歴史館の西側広場では、「佐賀城下栄の国まつり」の「さがんフェスタ2015in佐賀城」というイベントステージが設けてあり、ライブ演奏が行われていた。
私が遭遇したステージは、佐賀県出身の矢次麻紗美という女性シンガーソングライターのものだった。
つーか、そのステージでカフォンを叩いていたのは、おなじみのトミー富岡氏であった。
相変わらずの「心が折れそうにないキャラ」に感服したw

そんでもって、そのステージの南側でには、「YOSAKOIさが」の大きなステージが設けられていた。
この暑さを凌ぐような、熱いパフォーマンスが展開されていたのでした。

私にとっては因縁深いというか怨念深い鯱の門の横を通り過ぎ、本丸歴史館に入っていった。
と、入ったすぐの部屋に掲示されていたのは、幕末・維新期を中心とした8月のできごとが記載された「8月の歴史散歩」と題されたカレンダーだったのであるが、そのうちの一日の「できごと」にちょいと驚いた。

それは、1761年(宝暦11年)8月19日の「できごと」として記載されていたテキストであった。
向陽軒(藩主別荘/佐賀市水ケ江)で花火が行われる。
というものだったのだ。
あの幸陽軒(現幸陽閣)は、てっきり久留米にかつて存在していた同名店(その系譜と思われるお店が大川などに現存もしている)のパクリかなと思っていたのだが、もしや引用元はこれだったのか!?
うーん、なんとか幸陽閣の店主に真相を聞いてみたいものだ。

そんなこんなでやっとたどり着いた、「佐賀の八賢人おもてなし隊」のイベントの間。
過去に「八人目の佐賀賢人」というエントリーを上げていたりして、「八賢人」という言葉は私にとっても思い入れがあるのである。
そのイベントは佐賀の八賢人に扮した役者による寸劇である。16通りのシナリオがあり、各シナリオは三人の賢人が登場する。
今回は「どしたらいいんじゃ」というタイトルの寸劇でした。
「佐野常民、枝吉神陽の立派過ぎる二人の同期の活躍を尻目に、今朝も早くから槍の稽古に汗を流す島義勇。ちょっと出遅れた男の悲哀と希望を爽やかに描く」というストーリーである。
「佐賀の乱再び」と言われていた今年1月の佐賀県知事選にからみ、「佐賀の乱」を復習していたこともあって、義祭同盟を結成し明治維新にかかわる多くの人物を育てた枝吉神陽と、佐賀の乱の中心人物であり北海道開拓の父でもある島義勇が登場人物だというのは、なんとも興味深いものだった。鍋島直正と義祭同盟との微妙な関係を織り込んだシナリオも。
寸劇の前口上として、「劇中の写真や動画の撮影は自重・・・・・、せずにじゃんじゃんブログとかにアップしてください」ということであったので、動画を撮ってみたw
なお、同隊の活動は、善意の寄付のみで賄われており、10月以降の活動は全くの白紙だということ。
佐賀愛に溢れる同志の方には奮起していただいて、9月末までの毎日曜日にイベントに出かけ郷土愛を寄付という形で表すなり、活動の母体である「魅力発掘プロデュース協会」への種々のサポートなりで、このイベントが継続されることを切望するのであるよ。
で、次回日曜日、8月9日の演題は「酒もってこい」(八賢人一の地味で剛毅な男、大木喬任。ひとり酒をたしなみ、国家の建設を構想する晩に、親友の江藤と島がやってきたのはいいが、酒がきれて・・・。)の予定だそうである。
ちなみに今回は、元祖丸房露のお店「鶴屋本店(寛永十六年・1639年創業)」の、大隈重信候も愛したという丸房露2個をお店で交換可能な「おたのしみ券」も頂戴できるという破格のプレゼントもあったのだ( 嬉)
■関連動画
・「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」プロモーションビデオ
・2013年12月22日に撮影された「おないとし」
<あらすじ>漢学や医学、国学に陽明学。「なにものかにならんばっ!」と己が信じる勉学に励み、日夜議論を尽くしていた佐賀鍋島の藩校弘道館の若き俊英、枝吉神陽、島義勇、そして佐野常民。同じ歳の3人が18回目の夏を迎えた1840年7月のある日。ついに激動の時代の幕開けを告げるある知らせが遠く大陸から届いた・・・。
Posted by 今仁 at 03:20│Comments(0)
│佐賀
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