2012年12月21日
食育って美味しいの??
食育ってなんだろう?
なんかピントこないんだよねぇ・・・・、単なるワタクシの勉強不足かなぁ?
wikipediaの食育の項によれば、食育という言葉は「石塚左玄が1896年(明治29年)と1898年(明治31年)の著作(化学的食養長寿論、通俗食物養生法)で「体育智育才育は即ち食育なり」と造語し用いられている。」なんだそうな。
食育・食生活指針の情報センターのサイトの「「食育」とは」というコンテンツページでは、「国民自らが「食」について考え、判断する力をつけるための「食育」が必要となっているのです。」と結論づけられている。
うーん、デフレのスパイラルにはまっている現在は、格安の弁当やハンバーガーや牛丼を好むと好まざるとにかかわらず、食べなければならないんだよね、ホント。
食育を実践する時代背景がなく、その言葉が絵に書いた餅にさえ思えてしまう。

そんなこんなで、某日に某惣菜屋に晩ご飯を買いに出かけた。
あまりに惣菜類が美味そうだったんで、酒のあてにしようと千円で、ご飯(中)と残りは惣菜適当にとオーダーしてみた。
惣菜屋のおばさんに何時まで営業しているのか聞いたら、19時までとのことだった。
で、「昔は、夕方に新しい惣菜並べていたんだけどねぇ。今の時代こそ手作りの心のこもった食が必要なのに、皆んなスーパーとかファーストフードに行っちゃうからねぇ。そんなものばかり食べてたら体に悪いよ。時代が悪いんだよ。政権が交代しても変わらないよ。」と熱く語りかけてもらった。
最近、コンビニ飯もほか弁もなんか違うなぁ、と思っていたワタクシには、かなり同意できた。

で、半年ぶりの家飲みw半年貯蔵の黒霧ウマし(爆)
ご飯の上には高菜炒め(否辛)がサービスでのせられていたし、「ちょっと失敗して硬めに炊いたご飯があるからオマケしておくよ」てな具合で大盤振る舞いしていただいた。

こんな惣菜屋や同じ空気感をもった食堂とかが、だんだんと淘汰されている。
食育の理念と時代は、まるでビッグバンの発生以来膨張し続けている宇宙のように、互いの距離はどんどん離れていっているような気がする。

そんなわけでワタクシは、「孤独のグルメ」の井之頭五郎のように、ただただ、好きな時に好きなだけ好きなものを食べているのだ。
その方が、ストレスが溜まらなくて病気にならないよ、多分・・・・・。
Posted by 今仁 at 08:01│Comments(0)
│グルメ
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